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【中国ニュース】18年間の逃亡の末、ついに妻殺しの男を逮捕【逃亡犯】

この男の名前は孫国強。

今月8月5日18年間の逃亡の末、ついに逮捕された。

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 孫国強は現在50歳。仕事はとび職だった。小さい頃より非常に気性が荒く、友人も次第に減っていき、大きくなる頃には親戚までが彼に近づかなくなっていった。

 

1度目の結婚

 孫国強は2度結婚した。一人目の妻は趙玉蘭という。結婚後、孫国強は毎日毎日酒を飲み、飲むたびに妻に暴力を振るった。妻が妊娠した後でも孫国強の暴力は全く変わらなかった。趙玉蘭は、子供が産まれてくれば彼も変わってくれると信じて我慢していた。がしかし、子供が産まれた後も孫国強は全く変わることなく、さらに暴力が続けられた。そして、妻はついに家を出る決心をした。

 1995年夏、孫国強の妻は2歳の子供を置いて家を飛び出した。子供は孫国強の兄が育てることになった。

 

2度目の結婚

 その年の6月、孫国強の隣に女性が引っ越してきた。名前は呉鳳琴。二人は知り合って2ヶ月ほどして結婚した。幸せな新婚生活を期待していた呉鳳琴の想像とは裏腹に孫国強はこの妻にも暴力を振るった。

 結婚後3ヶ月目に彼の暴力に耐え切れなくなった呉鳳琴は裁判所へ離婚申請を提出した。裁判の中、孫国強は「許してほしい。離婚したくない」と何度も願い立てたが、裁判が終わって家に帰ると、また彼の暴力が続く。

 呉鳳琴は嫌になり、ついには妹の家に逃げ込むが、孫国強は毎日妹の家に来て、裁判で見せたような弁明を続けた。妹にこれ以上迷惑を掛けれないと感じた呉鳳琴は仕方なく二人の家に戻った。

 

妹と姉

 ある日、呉鳳琴の妹は、家に帰った姉が心配になったので家に行き、家のドアをノックしてみた。しかし、中から一切の返事がない。4日後、もう一度家に行き、同じようにドアをノックした。やはり返事がない。妹は心の中で急に嫌な予感がしたので、家の裏側へ周ってみると、窓のロックが開いていた。窓を開けて中を覗きこんでみた。嫌な予感は当たってしまった。

 そこには血だらけで床に横たわっている姉の姿がそこにあった。11月1日の夜だった。

 

暴力の結末

 11月1日昼、孫国強はいつものように呉鳳琴に、離婚を取り消せと言いながら、暴力を振るっていた。それでも呉鳳琴は拒否しつづけた。拒否を続ける呉鳳琴を目の前にし、孫国強の中にはだんだんと殺意が湧いてきていた。

 そして、気づけば孫国強は呉鳳琴のクビを自分のベルトで絞めていた。5分間ほど締め続けると、呉鳳琴は倒れたまま息をしなくなった。孫国強は呉鳳琴がまだ生きているかもしれないと、厨房から包丁を持ち出し、床に倒れた呉鳳琴の腹を切り裂いた。血が噴き出るのを見て、一度切るのをやめ、その後に彼女の乳首を切り落とした。それでもまだ呉鳳琴が生きている可能性があると考え、もう一度腹を切り裂き始めた。

 血だらけの呉鳳琴に上から布団を掛けた後、孫国強の18年間に渡る逃亡生活は始まるのである。

 

逃亡の末

 事件から18年間、有力な情報がなく、警察も困り果てていた2013年、”未解決事件”として警察は孫国強の逮捕策をさらに強化することを決めた。情報を各地からあつめ、潜伏しているという地域を徹底的に探しまわった。ハルビン市、遼寧省、大連市などを初め、孫国強の親戚知人筋なども含め捜索範囲は広きに渡った。

 このような捜査情報がテレビでも流れ、8月5日夜、警察の元へ孫国強らしき男から電話がきた。

「もう自首をしたい」

 そして自分は満州にいるとも伝えた。警察はすぐに満州中を捜索し始めた。が、すぐには見つからなかった。孫国強が掛けてきた最初の電話を切った後、二度と電話が繋がらなくなってしまった。

 しかし、ある目撃情報を元に行った満州の公園にて孫国強はついに逮捕された。その時、孫国強はわずか一角(≒1.4円)しか持ってなかった。体はガリガリに痩せ細っていた。

 

18年の逃亡生活

 孫国強は18年の間、警察を見るたびに震え、夜寝ても悪夢しか見なかったという。また、人通りの多い場所には近づかずに、病気になっても病院へも行かず、各地を点々とし、その場しのぎのバイトをしながら送った18年間だったという。

 現在拘置所にいる孫国強だが、

「自分の犯した罪は深く反省している。たとえ裁判官が死刑を宣告しなくても、自分から銃殺刑を望む。」

 取調官の人の幸せを奪った自分の行為について、という質問に対して、孫国強は

「後悔している!後悔している!」

そう言う孫国強の目には涙が流れていたという。